これは簡単そうで、かなり難易度の高い能力です。
そう思いませんか?
皆さんは普段、コミュニケーションをする時、
どんなことを意識していますか?
意識しなければ、無意識が働いて、
自動的な条件反射によって知らない内に
いつも決まったパターンでコミュニケーションをしてしまいます。
今日はその無意識の部分を、例え話を使って
ご紹介してみたいと思います。
私からAさんとBさんに対して話をします。
私が伝えたい事を「生地のネタ」だと思ってみてください。
私は「生地のネタ」を持って、Aさん、Bさんに会いに行き、
ルンルン♫な気持ちで、2人に対して話し始めます。
すると、Aさんは私の「生地のネタ」を
自分が持っている『たい焼きの型』に流し込み、
焼き上がってこう言います。
『あなたが伝えたい事ってたい焼きだね!』
同じように、Bさんは私の「生地のネタ」を
自分が持っている『大判焼きの型』に流し込み、
焼き上がってこう言います。
『あなたが伝えたい事って大判焼きでしょ!?』
すると、AさんとBさんが
『たい焼きだ!』『いや、大判焼きだ!』とお互い言い張り、
口論が始まってしまいます。
同じ状況、出来事と出会っても、
違う結果が生まれて、意見が食い違う、衝突する。
日常、こんな状況ありませんか?
『たい焼きの型』は、Aさんが生まれてからこれまで、
経験した事や知識によって創られた型=器です。
同じように『大判焼きの型』は、Bさんがそれまでに、
経験した事や知識によって創られた型=器です。
焼き上がった『たい焼き』は、Aさんが私の話を “認識した結果” です。
『大判焼き』は、Bさんの “認識した結果” となります。
「結果」がそれぞれ違うことに対して、
口論になり、衝突が終わらない状態になっています。
「結果」だけにフォーカスを当てていても、
一向に解決策は見えないままです。
その違いを生み出す『原因』が何なのか?
『仕組』『構造』が何なのか?
『原因』を解らないままでは、
私の伝えたい事=「生地のネタ」は
Aさんが聞いたら『たい焼き』に、
Bさんが聞いたら『大判焼き』になってしまうという事です。
私が伝えた事は、『たい焼き』にも『大判焼き』にもなる「生地のネタ」でした。
なので、『たい焼き』でもなければ、『大判焼き』でもありません。
残念ながら、
Aさんにも、Bさんにも伝わっていないのです。
この、人それぞれの経験や知識によって創られる型=器が
それぞれが持っている個人オリジナルの “観点” です。
相手の話=生地のネタを理解するにはまず、
自分が持っている型を知る必要があります。
皆さんは自分がどんな型を持っているか、ご存知ですか?
“観点”を認識しないままでは、
AさんとBさんはずっと平行線の論理が続き、
解り合うことは一生できません。
逆に お互いの“観点”を解った状態でも、
違うことは解っても、それに対してどう向き合ったらいいか
関係性を築いていくことが難しいとなってしまいます。
そして、「生地のネタ」そのままを、正しく理解することは
とても難しい事です。
この問題をどう解決したらよいでしょうか?
違いを生み出す『原因』
そして、“観点”を生み出す仕組、メカニズムを
解らないままでは、どんな問題も解決することができないのです。
認識が、世界を変える!
Schritt für Schritt
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